【33歳〜 新たなスタート。演劇の世界からの引退・保育の世界へ!】今度は本気で保育の世界でチャレンジしようと決意。人生初の会社の正社員に。

 

①転職活動

さて演劇に一区切りつけた私は、新たな夢をと考えたときに、改めて自分が演劇と並行してやってきた「保育」という仕事について考えました。
元々資格も取っている好きな仕事。今までは演劇と並行で行って来ましたが、一本に絞って向き合った事はない。
ほぼ迷いなく、次はこの保育という仕事に賭けてみようと思い、すぐに転職活動を始めました。

ただこの時点で恥ずかしながら、正社員への転職活動は初めてという、このはみ出し者感満載の私。
紆余曲折を経て、保育民間企業最大手の、学童保育施設長に就職することができました。
やはり資格を持っていたことと、今まで保育の仕事をやっていた事がプラスに働きました。

本当に、高校卒業後に資格取得を目指して良かった!
過去の自分を褒めてあげたいと思いました。

②就職

さて無事に初の正社員として2010年2月に就職を果たした私。希望に満ち溢れ、新たな人生のスタートという気持ちで入社をしました。
入社した会社で成果を残し、昇進し、収入も増やして活躍をしていきたい。そんな思いで初日を迎えました。

しかしそこで待っていたのは新たな試練。入社してすぐに様々な異変に気づいていきます。

◎給与が仕事内容からしてあまりにも安い
過去ブログにも書きましたが、世の全職種の平均はもとより、保育園の保育士にも遠く及ばない給与体系に愕然としました。
生活にハリが持てず、切り詰めの毎日。30歳を超えて何をやっているんだと絶望感に包まれました。

初めは入る会社を間違えたかと会社に不信感を抱きましたが、そのうちに自分の給与の仕組みが理解できる様になると、会社だけでなく業界全体の闇があるなと気付きました。
毎日命を預かる非常に重い仕事であるにも関わらず、この給与の安さは全く釣り合っていないと強く思いました。

◎所属会社と考え方や方針が大きく違っていた事
私が一番違うと思った事は、月に二回全施設長が本社に呼び出され、二週間の間にミスをした施設に全員の前で報告をさせられる事。
そしてミスをした施設に対して、当時の代表に皆の前で叱責させられる事でした。

私は大変幸運なことに優秀な部下に恵まれ、3年の間でミスの報告をする事は無かったのですが、同じ施設長の仲間が2週間ごとに皆の前で叱責される場面を見ます。
わざとやっている人なんていないのに、本当に見るに耐えない場面を毎回見せられ、辛かったという思い出が強く残っています。

そもそも保育という仕事は、全て人間が行う仕事。
ミスが起きるのは前提として、そのミスをどうしたら減らす事ができるか、ミスが起こったら今後どうしたら起こさないか、それを皆で考える事が重要だと私は考えます。

私とは大きく考え方が違っていることがすぐに分かりました。

この様に、私の考えとは全く違う対応が続いていき、また様々なことで大切にされている実感が持てない状況が続いていたため、次第に会社から心が離れていきます。

一年目の途中には、「ここは自分の居場所ではない。もっと自分を大切にしてくれ、自分の能力が活かせる場所を見つけていこう」と心に決めました。

【34歳〜 独立準備開始。】ここが居場所でないと感じ、色々と動いた結果、独立の道へ。

 

さて所属会社とは考え方が大きく違い、居場所ではないと悟った私。
まずは転職活動をしてみたのですが全くうまくいかず・・・。
厳しい現実を知りました。

そして、

「最終的には、自分の居場所は自分で作るしかない。それしか自分みたいなはみ出しものは、生きていけない」

と考える様になり、結果、独立をするしかない!という結論に至りました。
その後は独立へ向けて、試行錯誤しながら動きはじめました。

以下、会社に所属しながら行っていた準備の一部です。

①東京商会議所の、創業ゼミナールに参加

東京商工会議所というところが主催する、創業ゼミナールという所に参加をしました。
そこは税金も入っている半分公の施設で、抽選で選ばれた20名前後の人が、3ヶ月かけて起業や経営について学ぶゼミになります。
そこで多くのことを学び、また現在もつながりのある良い先生にも恵まれ、ひたすら起業と経営について学びました。

②日商簿記三級の取得

将来会社を経営するとなると、経理について学ぶ必要があるだろうと考え、仕事終わりの夜間に資格学校に通いながら、簿記を取得しました。
経営者時代、正直ものすごく役に立ったという感覚はないのですが、決算書を読むときに違和感なく入れたのは簿記のおかげかなと思います。

結果、まあとって良かったかなと思います!

③社内での取り組み・その1

資格を取ったりゼミに参加する以外にも、仕事をしながら何か独立後に役に立つ事はできないかと考え、まずは自ら手を挙げて研修を単発でやらせてもらいました。

そしてそれを一年、二年と繰り返していくと、三年目には会社全体の研修担当に選ばれたのです。
辞める最後の三年目には、正式な研修担当として月に一回、研修の企画や講師を行っていました。

またその流れで、会社の入社説明会の講師を行ったり、自治体の運営受託のプレゼン担当に抜擢されるなど、なぜか辞めると決めた後にさまざまな仕事を任される様になりました。
本当に不思議ですね。

④社内での取り組み・その2

色々と準備を重ねる中で、もちろん大前提として普段の施設運営には責任者として全力を尽くしていました。
その中で将来の会社経営を見越し、マネジメントの経験が必要だと悟った私は、常に本を読むなどしながら、良いと思ったことを日々施設で実践していました。

そして、会社員が一施設を運営しているのではなく、小さな会社を経営しているつもりで日々を過ごしていました。

結果、この事はとても経営に生きました。全力で取り組んで良かったと今でも思います。

以上です。

そしてそんな会社の内外で独立を意識しながら過ごしていると、本当に不思議な事が起こってくるもので、辞めると伝える直前にやんわりとマネージャーに昇進のオファーをもらったりもしました。
なるほどサラリーマンはこうやって昇進をしていくのか…と、人ごとの様に考えていたことを思い出します。

そしてその時に感覚的なものですが、確信しました。

あ、辞めるのは今だ!と。

そして2012年の年末、会社に3月末で退職する旨を伝えました。

⑤退職まで

さて会社に退職の意思を伝えた後は、独立後の準備をさらに進めていました。
そして大変運がいい事に、創業ゼミナールの繋がりから、学童保育を作りたいという経営者の方と引き合わせて頂きまして、2013年4月オープンの民間学童を作る事が決まっていました。
その方と共同で起業・経営をしましょうという事になり、その準備も仕事の合間に毎日行っていきました。

初めての起業・経営というチャレンジをする事になったのです。

もちろん、会社での引き継ぎは全力で行いました。
会社のためというよりは、残される部下と新しく来る私の後任の方の為です。
そして忙しい日々が続き、とうとう会社を正式に退職しました。

2013年3/31、明日から自分の学童保育がオープンします。

【36歳〜44歳 起業後、天国と地獄の経営者時代。退任後新たな世界へのチャレンジ】会社経営はやり切った。次は腕一本で勝負したいながら、社会の役に立ちたい

夢と希望に満ちていた新規学童開業。
この時にすでに私自身は16年の保育経験があり、前職では施設長でマネジメントも経験。
カリキュラム作成も一から関わり、学童スタッフ採用も行い学習講師の先生も契約済み。

万全の体制で、自分の理想の学童をオープンする。
生徒が来ないはずなどない。
希望と自信に満ちていた私を待っていたのは…地獄の様な現実でした。

スタート時の生徒は2名。火、木曜日は子どもがゼロという悲惨な状況。
本当に逃げ出したいくらい、メンタル的に厳しい状況に追い込まれました。
この恥ずかしいしくじりについては、こちらに詳しく書かれていますのでよろしければご覧ください。

【元・民間学童保育経営者の恥ずかしい失敗を公開!】開業・運営・経営でしくじったことを具体的にお話しします。

https://unablog.jp/2021/01/22/failure01/

 

約7年間、会社の経営では本当に色々な経験をさせてもらいました。
夜寝られないほどの恐怖やプレッシャーを味わった一方、涙が出るほど嬉しかった事もたくさんありました。

特に、常に倒産の可能性を考えながらの日々は、そのプレッシャーとても大きなものでした。
保育施設を倒産させてしまうという事は、普通のお店以上に、利用者の生活に直結しているので、絶対に潰してはいけないという気持ちは常にありました。

また大きな喜びとしては、従業員が大きく成長するところを間近に見ることができたり、前職の自分の給与を従業員が超えてくれた事が挙げられます。
更には保護者の方々から、予期せぬプレゼントの様な言葉を頂いた時も何度もありました。
その時は本当に嬉しかったです。

ビジネスマンとしても一人の人間としても、本当に成長をさせてもらった7年間でした。

そうして試行錯誤を繰り返しながら、結果会社を軌道に乗せる事ができたと思った時、感覚的に会社を去る時が来たなと思う様になりました。
それと共に、同じ人間が長い期間トップにいる事が、会社にとってマイナスになるのではという考えも持っていました。

そうした気持ちを抱えながら時期を探り、2019年12月末を持って、会社の代表取締役を退任。
新たな世界へまたチャレンジする強い気持ちで、フリーランスへと転身しました。

【44歳〜 これからの未来について】時の流れに身を任せ、逆らわず生きていく。

 

仕事関係の方と話をしていると、

「将来はどういったところを目指しているのですか?」

と聞かれる事があります。

正直な気持ちを言いますと、

「そんな具体的な事は何も考えていない。必要とされ、一番自分の力が発揮できる場所にいつでも行きたい気持ちが強い」

という様なことをいつも答えています。
すると相手はキョトンとして、理解できないという感じになります。

気持ち的には川を流れる葉っぱの如く、行き着くところへ行き着くだろうという心境で、流れに身を任せている感覚になります。
なので、このまま死ぬまでフリーランスかもしれないし、来週にはどこかの経営者になっているかもしれない。
あるいはどこかの会社の事業部長あたりに就任し、再び会社員になっているかもしれない。

本当に、明日にはどうなっているのかわからないなと常々思っていて、でもそれがとてもワクワクすると言いますか、生きていて楽しいなと思っています。
実際に毎月様々なお話しを頂いていて、本当に迷う場面も何回もありました。

元来飽きっぽい性格の自分は、この様な生き方が合っているのかもしれません。
本当にはみ出しものですね。

しかし、頂いたお仕事はお値段以上に感じて頂けるよう、毎回しっかりと結果を出していきます!
そしてこれからも常に自己研鑽を忘れずに、チャレンジをしてきたいと思います!

という事で、未来の事は何も決まっていないし分からない!
だから生きていて楽しい!
これからも私杉江を、どうぞよろしくお願い致します!

以上、最後までご覧いただき、ありがとうございました。